援(たすく)

石谷精華堂の草創

石谷精華堂後醍醐天皇ゆかりの小さな三色だんごは、地元倉吉に育てられて、 今では全国のお客様にまで愛していただけるほどになっています。

石谷精華堂の草創は、明治十三年(1880)、初代・石谷すまが、素朴な甘茶だんごを作ったことに始まります。きっかけは、こんな故事に由来しています。

ときは元弘三年(1333)、南北朝時代、流刑の身となった後醍醐天皇は、やがて隠岐島から脱出。その際、地元の豪族・名和長年公が船上山にお迎えし、 〝甘茶だんご〟を振る舞いました。

このエピソードに着想を得て、だんご作りを決心したというわけです。

当初は、餡をまぶしただけの〝あんころ餅〟だったようですが、明治四十年、皇太子(大正天皇)行啓にともなう打吹公園造成を機に、創意工夫を凝らして現在のような三色だんごに完成させました。