平成元年(一九八九)四月、打吹公園だんごは、『ワシントン桜まつり』の日本大茶会へも出品しています。これには、次のようなエピソードがありました。
前年の昭和六十三年のこと、すでに恒例となっていたベルサイユでの茶会に向かう道中、文海は佐方先生に、「アメリカの『ワシントン桜まつり』でだんごを振る舞いたい!」という十年来の念願を熱く語ったのだそう。その当時、奇遇にも、佐方先生のお孫さんがジョージタウン大学に留学中で、何気なく友人に文海の話を持ちかけられた。すると運良く、その友人の父親が地元の有力者。トントン拍子に話が進み、翌年には、『ワシントン桜まつり』の日本大茶会に茶菓として、念願の出品を叶えたのです。
まつりの当日、文海は〝花咲じいさん〟の扮装でパレードに参加していました。沿道の日本人や日系人の皆様からは「花咲じいさーん」と声援まで起こり、中には、涙する人がいらしたほどでした。
1990年“ジャパンフェスティバル,90オーストリア”で、持参の打吹公園だんごをウィーンの現地関係者へプレゼント(写真上)。笑顔でだんごを食べる来場客(写真左下)と、佐方宗礼社中(写真右下)。
1987年“クインズランド・ジャパンフェスティバル,87”の茶席で正客を務める文海(写真上中央)。隣が次客の幸子夫人、左端が佐方宗礼先生。写真下はにぎやかな会場風景。